新たな種子島焼の誕生

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陶磁器の研究者として世界に知られた小山先生。やきものに捧げたといえる生涯においてその始まりは作陶であった。名立たる巨匠たちと交流し、柿釉、青白磁、唐津、紅毛、種子島、南蛮、備前、など数多のやきものに挑み、名品を生み出された。

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南蛮茶垸 13.3/12.5 / H6.3cm 共箱 ¥250,000(税込)

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昭和44年台湾の故宮博物院に招かれて講演することとなった小山先生はその途中、沖縄那覇の「壺屋やむちん」の里に立ち寄り、初めて沖縄で作陶された。壺屋には釉薬の掛かった上焼(ジョーヤチ)と無釉焼締の「荒焼」(アラヤチ)とがあったが、赤い南蛮風の荒焼に惚れ込み、新垣栄用窯で作陶された。その翌年のこと、偶然にも種子島の職員から「種子島にあった能野焼(よきのやき)の再興に協力してほしい」と要請があった。能野焼は江戸末期から明治の中ごろまで数十年間、擂鉢や甕、片口など生活雑器を焼いていた窯である。それらは土灰釉が施されていたが、首里での荒焼を思い出した小山夫先生は、「無釉の焼締で良かったら、やってもよいが」と返事されると、「先生にお任せします」との承諾を得たので引き受けることになった。こうして赤く焼かれた肌と炭化した黒い焼肌との対比を好んだ小山先生が蛇窯で焼く、新たな「種子島焼」を誕生させたのある。自然とともに焼締陶の楽しさ面白さを世に問うた作品群であった。   

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本作は箱書きにあるように1965年北鎌倉にある平野 陶志子の窯で種子島の土を用いて焼かれた物である。非常に薄造りで、轆轤目が美しい。心のままに種子島の田土を操り、回転の早い轆轤で、「轆轤は弄くりだすとだらしのない作品になってしまう」と、決して土に逆らわず、一気加勢に挽きあげる。高台も一気に削る。おおらかな碗成りとともに「撥高台(ばちこうだい)」といわれる独特の高台が、無釉の種子島の土そのものに映えている。高台脇に「古山子」の彫銘がある。(観)


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