陶房の風をきく~ 北欧モダニズムの器たち ベルント・フリーベリとオレフォス・ガラス

今回で3回目となりますギャラリー北欧器さんとの共催企画「北欧モダニズムの器たち ベルント・フリーベリとオレフォス・ガラス」が明日より始まります。

今回はギャラリー北欧器の嶌峰暁(しまみねさとる)さんからご寄稿いただきました。
フリーベリという人がどんな人だったのか、作行きの変遷など、興味深いお話をたくさんしてくださっています。



釉薬にコバルトを用いた青い作品
本国スウェーデンで人気が高い
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<ベルント・フリーベリについて>
●轆轤工から陶芸家へ
ベルント・フリーベリは、スウェーデンのホガナスという窯業の盛んな土地で、1899年1月1日に生まれました。祖父と父もホガナス製陶所に勤める陶芸一家で、彼も13歳から製陶所で働き始めました。当時の欧米では、日本の陶芸家の様な職業は北欧を含め、海外にはほとんど無く、流れ作業の一部として正確に轆轤をひけることだけを求められた時代でもあり、陶芸家の社会的な立ち位置は相当に低いものでした。

18歳で土地を出た後は、北欧諸国の多くの工場で轆轤工として渡り歩きましたが、35歳の時に、国内でも最大級の製陶所、グスタフスベリ製陶所で働き始めることで大きな転機を迎えます。轆轤の技術を買われて、当時のアートディレクターであった、ウィルヘルム・コーゲの轆轤師として製作を開始し、コーゲの難しい作品のオーダーを次々とこなしていくことで、社内での評価を獲得していきました。

1941年には、自身の個人スタジオを社内に与えられ、グスタフスベリの美術製作部門、G-Studio(ジースタジオ)の一員となりました。他のメンバーはパリ万博でグランプリを獲得した、ウィルヘルム・コーゲを初め、大学卒業のインテリたちが名を連ねており、轆轤工からの転身はまさに驚きでもありました。

1945年にはストックホルムのNKデパートに於いて、ウィルヘルム・コーゲ、スティグ・リンドベリ、そしてベルント・フリーベリの三人展が開かれており、これより所謂フリーベリの薄手でシンプルなスタイルが確立し、作品制作が本格化して行きました。



黄色の釉薬
時代によって色の出方が違ってくる。
ウランを用いていると燻んだ色味に。
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●究極の形と色を求めて
フリーベリは自由奔放に器を作るわけではなく、予め決めた器のデザインを45年近辺には完成させており、そのデザインに基づいて、子供の背丈ほどある大振りなものから、掌に乗る小さなミニチュアまで、同じ形と色味の作品をその後30年にわたりただひたすらに製作をして行きました。職人上がりであるからこそ、同じことを何度も繰り返すことで、自分の思い描いた究極の形と色に近づいていくということを知っていた為なのかもしれません。

また彼の代表的な作品であるミニチュア作品は、初めから小さい作品を作ろうと制作したわけではなく、大きな作品は当時より高価であったことから、その全く同じ形で小さい作品を作り、廉価版として販売をしたことがきっかけで、後にはグスタフ国王自らが足を運んで選んだとされるほど評判を呼び、彼の出世作でもあり代名詞的な作品になりました。

大きな会社に所属していたため、窯や轆轤、釉薬や土に至るまで、自由に使い放題だったこともあり、作品数は多作で、恐らくは数万〜数十万点ほど製作をしていると思われますが、全ての作品は轆轤目が消えるまで、丁寧に素焼きに磨きをかけて磁器の様な滑らかな肌を作り出しています。仕上がりはまるで機械で作ったかの様な、精緻で隙のないシンメトリーな作品たちばかりで、陶芸というよりもプロダクトを人間が作ってしまったかの様な感覚です。



ミニチュア作品たち
この大きさよりさらに10分の1ほど小さいミニミニチュア作品も。
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●「黒いノート」
フリーベリはこの時代独特の職人然とした人物で、当時働いていた人の話では、近寄り難く、自分の作品に絶対の自信を持っていた様です。65年にはセミリタイアをして、何人かの若い轆轤師を下に付けた様ですが、仕上がりに満足せず、叱った挙句、結局自分の方がうまいと全て自ら作ってしまう程でした。
また秘密主義者でもあり、「黒いノート」と呼ばれる秘伝の釉薬レシピノートを1920年代から書きためており、その釉薬の調合は外部に漏れることはありませんでした。フリーベリ作品は人気のためか、ある時期から器をスタジオから盗んで売るものが出てきた為、鍵をかけて外出する様になったため、誰もフリーベリとスタジオに近寄れず、結局、彼の技を継承する者は現れませんでした。しかし気に入った女性や訪ねてきた子供には、器をちょこちょことプレゼントしていた様です。知り合いのディーラーも夏にはスポーツカーに乗って、一緒にサマーハウスへ遊びにいったとのことで、仕事以外では随分と気さくな性格だった様です。



●日本との関わり
フリーベリと日本との関わりは、実はほとんどなく、師匠のウィルヘルム・コーゲが、柳宗悦と濵田庄司との交流から来日をした際に、民藝の作家作品たちをグスタフスベリに持ち帰っているのですが、その民藝作品を見ている写真のみしか日本との接点は確認できていません。来日はもちろん日本での展覧会や個展もなく、強い影響を受けたわけではない様ですが、意識をした、もしくは対抗した作品は時より見受けられます。




青磁のような色味をした釉薬
淡い靄のような表情が現れる
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●東洋古陶磁の影響と作行きの変遷
フリーベリ作品は、30年間ほぼ同じ形と釉の色味を作り続けましたが、45年から10年スパンで作行きが少しづつ変わります。初めの10年ぐらいは中国や東洋古陶磁からの影響が強いものが多く、釉薬や形も定まっていない様ですが、その分、面白い形や複雑な表情の作品も見受けられます。またこの時期にはミラノトリエンナーレで金賞を立て続けに3回受賞をしており、彼の中で一つの山を迎えた様です。

50年から55年ぐらいからは、中国古陶磁の模倣を脱して、自分のスタイルにより入り込んでいきます。ミニチュアなどの良い作品も皆この時期に製作をされています。紙細工の様に薄手で、手で思わずへし折れそうなほど繊細で、透き通る様な透明感のある釉の作品が多く、艶やかで女性的な雰囲気を感じられます。この時代だけを集めるコレクターもいるほどで、フリーベリの黄金期とも呼べる時代です。

60年に師匠のウィルヘルム・コーゲが亡くなり、心情が変わったのか、作行きも王道でどっしりとした風格のある作品が増えて行き、巨大な作品もこの時期に多く製作をされています。全く隙のない、見事な形と釉薬の表情が特徴で、名品と呼べる作品がいくつも誕生しました。黄金期〜成熟期とも呼べる時代です。

65年にセミリタイヤをした為、65年に制作をされた作品が最も多く見受けられ、彼の陶芸の頂点はこの時期に一区切りつく様です。65年から81年にかけては、下に轆轤師をつけていた為、フリーベリの手による轆轤ではない作品が混ざって行きます。しかし全ての釉薬はフリーベリが担当していました。作行きもやや厚手の作りになり、柔らかく温かみのある作風に変わって行きます。高齢のためかミニチュアなどの作品は製作数が少なくなって行き、ミニチュアの中でも大きな作品やぽってりした形が増えて行きます。1979年にスウェーデン国立博物館で自身の展覧会が開かれており、その展覧会前後からは作風も厳しさがなくなり、随分と自由奔放に作っている様にも感じます。



●人気と評価
フリーベリは当時からスウェーデン国内及び欧米では人気の作家でしたが、熱狂的な美術コレクターが世界中にいるわけではありませんでした。彼の名を知らしめたのは、写真家のロバート・メープルソープで、メープルソープがエイズで亡くなった際に、自身のアートコレクションが1989年のクリスティーズオークションに出品されましたが、その中に、多くのベルント・フリーベリコレクションと、フリーベリなどの北欧の器に花を生けた写真が出品されて、あの器は一体何なのだと注目を受けたのが始まりです。またメープルソープとの交流から、イブ・サンローランもフリーベリのコレクションをしており、90年代以降にニューヨーカーやファッション関係の人たちに一気に火がついてコレクターが増えて行きました。



<私とフリーベリについて>
●フリーベリとの出会い
私はもともと器のこと、ましてや海外の器には全く関わりがありませんでした。ある時、群馬県の水上にある天一美術館のロビーラウンジにある椅子に座って、お尻が張りつくほどの座り心地で衝撃を受けたのが、北欧デザインに出会った初めての瞬間でした。その椅子を調べていくと、北欧はデンマークのハンス・ウェグナーの椅子であることがわかりました。当時から北欧家具は高額で月賦で購入したのを覚えています。デンマークの家具は椅子に限らず、棚やキャビネットも美しく、木目の美しさや使い心地の良さに惹かれて、その魅力に嵌って行きましたが、家は当然スペースに限りがあるので、すぐにいっぱいになってしまいました。そうなると何か棚に置く小物を探そうと、小さなオブジェを探し出したのが、今回のベルント・フリーベリに出会うきっかけです。

●お店を始めるきっかけ
北欧家具雑誌の小さなモノクロの特集コーナーで、北欧陶芸の最高峰は轆轤の名手、ベルント・フリーベリの器であるという記事を見つけ、モノクロでも見込みに流れた禾目の釉の美しさが忘れられず、扱うお店を探し回って実際に見てみると、吸い込まれる様な美しい禾目に息を飲んだことを今でも思い出します。購入して、一つ部屋に持ち帰った時に、部屋の空気がスッと変わる様な器の緊張感に体が震え、その美しさをいつまでもいつまでも眺めていました。そこからどんどんと北欧の器に嵌ってしまい、手当たり次第に買う様になり、数が多くなってどうしようもなくなった頃、この美しさを多くの方々に知ってもらおうと、写真を撮りウェブサイトを作って紹介をしたのがお店を始めるきっかけです。

●お気に入りの形と表情の作品を見つけて欲しい
フリーベリの器は、デザインと釉薬の色味がある程度決まっているとはいえ、多作の作家で、自分のお気に入りの形と表情の作品が、必ず一つは見つけることができます。それでも私が出会った15年前より数はかなり少なくなってきましたが、まだまだ作品を自由に選ぶことができるのが楽しい作家でもあります。またシンプルで静かな佇まいのものが多く、どの空間に置いても他を邪魔しない静寂の器でもあります。私も家では小ぶりなフリーベリ作品を、旅先で手に入れた小さなオブジェやガラスなどと合わせて並べていますが、どの形がきても自然と組み合わせが整ってくれる懐の深さが本当に良いものです。掌サイズの花入れ一つでも、出窓のちょっとしたスペースや、棚の上に置いておくと、空間の空気がスッと変わり、部屋が華やかになりますので、皆様にもぜひその良さを感じてもらいたいと思います。



マンションで飾っても違和感がない。
旅先で手に入れた小さなオブジェやガラスなどと合わせて。
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全ての高台には作家サインが入れられ、
製作年代などもわかるようになっている。


見込みに流れる禾目の表情
この細かな毛並みは、海外でも「兎の毛の釉薬」と呼ばれている。
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高台サイン
作家の名前とグスタフスベリの美術作品にのみ入れることのできる
「Gとハンドマーク」のロゴ
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サインの書体も時代によって変わるがこちらは典型的な60年代の書体。
アルファベットのEから1963年の製作とわかる。








【北欧モダニズムの器たち ベルント・フリーベリとオレフォス・ガラス】

共催:ギャラリー北欧器


開催期間:2020年7月17日(金) ~ 2020年7月28日(火)
休業日:23日(木)

於:しぶや黒田陶苑
11:00~19:00


Exhibition of Berndt Friberg and Orrefors Glass
Exhibition : July 17 to July 28, 2020
closed on 23.



新型コロナウィルス感染拡大防止の為、
本展では追加作品をホームページ上でご紹介する予定です。
※掲載は7月17日(金)11時より公開致します。
↓↓
https://www.kurodatoen.co.jp/exhibition/20200717/






(恭)

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黒田草臣ブログ: http://01244367.at.webry.info/
しぶや黒田陶苑のホームページ: http://www.kurodatoen.co.jp/