陶房の風をきく ~ひとりたのしむ 昭和巨匠陶藝逸品展

今日は貴重な梅雨の中休み。少し湿度も下がって、暑いですが気持ちのよい東京です。

渋谷のお店は今月より木曜日がお休みに戻りました。本日もお休みをいただいております。
ご来苑をご予定くださる際にはどうぞお気を付けてお越しくださいませ。

さて、ひとりたのしむ 昭和巨匠陶藝逸品展も7日(火)まで、残り5日となりました。

今回は黒田辰秋先生について見て参りたいと思います。



●黒田辰秋の拭漆
辰秋先生の作品は大きく「拭漆」「朱漆」「螺鈿」の3つに分類できます。なかでも拭漆は一見素朴ながらその技術の高さはもちろんのこと、木そのものの美しさ、強さとともに漆の特性が存分に味わえます。

先生の拭漆は、最初に漆をしっかりと吸い込ませ捨て擦りを行った後に徹底して研ぐことで木地を作り、また捨て擦り、それから拭き錆を重ねる、仕上げ塗りは数回からときには20回にもおよんだといいます。そうすることでたっぷりと木地に漆を吸わせ、厚ぼったくならず仕上げの漆が透けたときに最高の効果が出るのです。拭漆という手法は、木の肌合いや木目の美しさを増し、丈夫で艶やかで美しく作品を保つという漆本来の特質も合わせもつもの。本来は木地作品の仕上げの手法の一つに過ぎないものが、辰秋先生の手にかかると、塗師の塗仕上げのよう。今も艶やかで美しい飴色を保ち、木目の美しさを目にすると、ずっとなでていたいと思わせる作品となっています。


蔦金輪寺茶器
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こちらも拭漆がより効果を発揮している作品の一つで、金輪寺と言われる形の茶器です。先生は一切何も手を加えていない、オリジナルの形で何十と造られました。

『金輪寺の茶入は木工として最高のものです。が、一般には知られていないし、見る機会もない。こんなに美しいものがあるということを、私は世の中に知らせたかった。それだけのことです。』

とおっしゃるように、いつも革新的で独創性を追い求めるだけでなく、最高に美しいものを謙虚に受け止め、そこへご自身の技術を高めて行かれる。素材を活かすことを常に意識していた先生にとって、蔦は金輪寺と決めていたというのはごく自然なことで、これ以上の造形は無いとわかっておられたのでしょう。



●足しも引きもできない絶対的な美


赤漆四稜茶器
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四稜茶器などに見られる美しい線(正確には削り)。

『最も美しい線は、削り進んでゆく間に一度しか訪れない。削り足りなくても駄目、削り過ぎても駄目』

こうおっしゃっていたそうです。美しい線の、その一瞬を削り出す目を持つ辰秋先生。そこには美しいものをただ美しくあらせたいという想いが感じられます。それこそが素材を最高に活かせるからです。

ただ、実際にはその一瞬を見逃すまいと目を凝らしていたのではなく、むしろ、遠くを見るような、板や木地を慈しむような穏やかなまなざしであったようです。



●木工だけを見ていては駄目
後年、映画監督の黒澤明氏から依頼を受けた家具を作った際、一緒に付知で作業をされた早川謙之輔さんは言います。まだ始めて間もない若い頃、初めて京都のお宅にご挨拶に行ったときに辰秋先生は、木工だけをやっていては駄目だよ、とおっしゃったと。

絵や書を見たり、焼き物を見るなど美術の造詣に深くあれということだけではなく、日々の生活にも、例えばタバコの銘柄、味と言った些細なこと(実際、早川さんは辰秋先生と当時珍しかった外国タバコをいろいろ試されたとか)にも興味を持ち、知ることが全て自分の木工制作へとつながっているのだということを教わったとご著書(「木工の先達に学ぶ」新潮社)の中で書いています。

それは辰秋先生の作品を愛した小説家志賀直哉氏も、作品の中に感じていたことだといいます。

「黒田君は本職は勿論、絵でも、陶器でも、織物でも非常によく分る。彼のさういふ物に対する感覚は鋭い。そして、それが一番強く働くのは自分自身の作品に対する時で、彼の強さ、鋭さ、美しさは総てそこから生れてゐる。」(黒田辰秋 人と作品」駸々堂出版より)



●京都の注文主
京都・祇園で塗師の息子として生まれた辰秋先生。ご自身の工房も祇園からほど近い清水道にありました。

木漆工芸家として歩み始めた頃、京都の注文主から受けた仕事があります。それが、京都大学北門前にあるカフェ「進々堂」の長テーブルセットと、祇園の菓子舗「鍵善良房」の拭漆欅大飾棚をはじめとする作品の数々です。



祇園「鍵善良房」 拭漆欅大飾棚 (1932年)
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                   (1934年)
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いまなお欅の木目が美しい。
寛次郎先生のやきものも見える。




祇園「鍵善良房」 赤漆宝結文飾板 (1930-1935年)
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これらは1930年から1935年頃の作品です。驚かされるのは、辰秋先生が当時まだ20代であったことや、そしてこれらが今も京都の町に存在し、惜しげもなく使われていること。しかも長テーブルセットは実際に腰掛け、このテーブルで珈琲を飲んだり、カレーを食べたりできるのです。



進々堂 京大北門前店  テーブルセット (1930年)
(写真:黒田辰秋展 木工芸の匠 / 東京国立近代美術館図録より)
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拭漆で、素材は楢。
数枚の板を釘の代わりに鎹で繋げただけのシンプルなもの。
たくさんの人が座り、何度も拭かれ、味わい深さが増している。
約90年経った今でも、落書き一つなく保たれている。



そしてどちらも、今この現在でもお店の顔とも言える存在として、ひっそりと、しかし確かな存在感を放っているところに先生が若い頃から真摯に仕事をしてきた、その原点を見ることができます。


進々堂さんも鍵善良房さんも京都が好きな私にとって、とても馴染みの深いお店です。

進々堂さんは京都大学の前にあるだけあって市内の他カフェとはまた違った雰囲気で、教授や学生さんが一緒にテーブルを囲む姿がまるで大学内の食堂にいるかのように錯覚することがあります。通りに面した大きな窓と中庭からの明かりが本当に気持ちの良い場所です。


鍵善良房さんは京都好きの方なら知らない方はいないほど有名なお菓子屋さん。特にくずきりは出来立てをいただくことができ、喫茶室では多くの方が召し上がっておられます。私も初めて伺ったときの目当てはくずきりでした。

何度も、ただ一目散にくずきりやかぎもちをめがけて通ううちに、入口のしつらいや、店内入ってすぐの大きな棚が気になるようになりました。この木目の美しい立派な棚はいったい?なぜ寛次郎の花入があるんだろう?とネットで調べたことを思い出します。

鍵善さんのお写真はホームページからお借りいたしました。


祇園「鍵善良房」 螺鈿くずきり容器 (1932年)
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祇園の仕出しという文化に合わせて。持ち運びできます。

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本来は鍵のマークと鍵善良房の一文字ずつで計5個。





祇園「鍵善良房」 「くづきり」額
(額縁:黒田辰秋、書:河井寛次郎)
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辰秋先生と寛次郎先生のコラボ作品。
これを見ただけであの涼しげな「くづきり」を思い出します。


こういった注文主たちにも支えられ、ご存じのように先生はその後多くの作品を残されるのです。

当展示会では、HP掲載作品以外にも茶杓や茶器などもご覧いただけます。
7日(火)19時までとなっております。





【ひとりたのしむ 昭和巨匠陶藝逸品展】
開催期間:2020年6月22日(月) ~ 2020年7月7日(火)
休業日:7月2日(木)

The Grand Masters of Showa Era
Exhibition : June 22 to July 7, 2020
Closed: on Thursday July 2, 2020


オンライン展示会も同時開催中です。

https://www.kurodatoen.co.jp/exhibition/20200622/



<黒田辰秋 / 年譜>
1904年 京都市祇園清井町に塗師屋の子として生まれる
1927年 柳宗悦らと社家を借り受け、上賀茂民藝協会を創立。共同作業を始める
1958年 日本伝統工芸の鑑査委員となる
1964年 映画監督黒沢明より御殿場山荘の室内セットの制作依頼を受け岐阜県付知に仕事場を設けて出張制作をする
    「拭漆楢彫花文椅子」他、制作
1968年 新宮殿「千鳥の間」「千草の間」用に「朱溜栗小椅子」30脚および卓子10脚を完成させる
1970年 重要無形文化財の指定を受ける
1971年 紫綬褒章授章
1976年 『黒田辰秋 人と作品』が出版される
    志賀直哉武者小路実篤、川端康成、小林秀雄、浜田庄司らに序文を受ける
    京都市文化功労者になる
1982年 急性肺炎のため、京都市伏見区の自宅で死去



(恭)


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しぶや黒田陶苑のホームページ: http://www.kurodatoen.co.jp/