やきものの新しい芽 「ひとりたのしむ 昭和巨匠陶藝逸品展」より

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加藤土師萌先生 萌黄金襴手孔雀牡丹文飾壷 

一口に陶器・磁器と言ってもその種類、技法は多種多様に存在するが、加藤土師萌先生程にその作域の広さで知られている作家も珍しい。


 窯業地である瀬戸に生まれ、小学校を卒業してからは、昼は製陶会社で画工見習いとして働き、夜は窯業学校で図案などを学び、当時は図案家を目指していたという。後、岐阜県陶磁器試験場へと招かれ多治見に移り住み、陶磁器の図案の改良や原材料の研究を行っていた。    

1938(昭和13)2度目の召集を受け、中国済南へ。約8ヶ月で除隊となり、陶磁器試験場へ復職するが2年後横浜日吉に居を移し個人作家として独立して制作を始める。日吉に移住してからは土の調製、轆轤、絵付け、窯焚きまでご自身で行われていた。


 戦後、その制作は古陶磁の研究へと深く進んで行く。1955(昭和30)頃に再現を成功させた萌葱金襴手もそうした研究から生まれたものである。

 特に中国・明の嘉靖年間に高度に発達した「萌葱金襴手」。萌葱とは青と黄の中間、薄い緑色のことで、金襴手とは金箔や金泥を用いた技法である。先生は切り抜いた金箔を焼き付ける手法を「金襴手」、金泥を用いた手法を「金彩」と区別している。

 本作は高さ15cmの白磁の器体に上絵の銅と鉄からなる緑釉を施し焼成し、更に文様に切り取った金箔を焼き付けている。金を焼き付ける際、窯の温度で緑地の色味が安定せず、瑞々しい色合いを保ったまま焼成することは非常に難しい。本歌の金襴手では赤絵の上に金を施したもの、黄釉、白磁の金彩などもあるが、緑釉を下地にしたものは数も少なく、高雅でありその色彩の美しさからも評価が高いものである。


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 胴には金箔で上に雲文を一列廻らし、その下には大輪の牡丹と孔雀の姿を、下半分からは四弁の花文を縦に三つずつ連なるように施している。核となる孔雀と牡丹の姿を胴の上部にだけ描くことで視点を集中させるだけでなく、下部の緑地の爽やかな色彩を十分に感じさせ、またモダンな印象も受ける構図である。

 土師萌先生の金襴手はあくまでも技法を本歌に倣ったものであり、その文様は独自の創作からなるものである。伸びやかさとどこか愛らしさも感じる先生の文様。幼少期から図案家を目指し様々なスケッチを重ねたからこそ生まれてきたものと言えるだろう。


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蓋裏には「日吉篁居」、高台内には「土師萌製」と染付の描銘がある。

本名は「一(はじめ)」であったが、1922(大正11)頃愛知県商品陳列所の所長、原文次郎より陶磁器に関する教えを受け、「土師萌」という雅号を贈られた。それは「やきものの新しい芽」という意味である。その芽は大樹となり、綿々と現在の陶芸家まで志を繋いでいるのである。 





【ひとりたのしむ 昭和巨匠陶藝逸品展】
2019年12月13日(金) ~ 12月24日(火) ※19日(木)定休


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(巻)

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